青春をカードに賭けたMTG道 世界選手権チャンピオン高橋優太が語るプロのあり方とは

「マジック:ザ・ギャザリング(MTG)」(@mtgjp)といえば、世界中の国々で親しまれるカードゲームの金字塔であり、多くの競技人口と活発なプロシーンを持つマインドスポーツです。そんな「マジック:ザ・ギャザリング」の専業プロとして活動し、2021年秋にデジタル版「MTGアリーナ」(@MTGArenaJP)を舞台に開かれた「第27回マジック:ザ・ギャザリング世界選手権」で悲願の優勝を果たした高橋優太選手(@Vendilion)に、プロとしてのルーツを聞きました。(インタビュー後編はこちら)
My childhood dreams comes true. World Champion!
— Yuta Takahashi (@Vendilion) October 11, 2021
The instant spell exchange with Depraz was the most fun.
Big thanks to my best friends who practiced with me.
Yoshihiko,Rei,Riku,and Kenji.
世界王者になりました。
一人では決して成し得なかったと思いますし、練習仲間に感謝。 https://t.co/gc6xgE3H9G
――「マジック:ザ・ギャザリング」との出会いはいつだったのでしょうか?
自分は今35歳なのですが、小学校6年生くらいのとき、「第一次カードゲームブーム」と呼ばれるものが日本に到来し、元祖カードゲームとしてMTGが大流行したんです。教室の角に集まってみんなでカードを広げて遊んだり、互いのカードを自慢し合ったりというのが日常風景で、自分もそのはやりと共にMTGを始めました。
――当時好きだったカードなどはありますか?
当時は「奈落の王」というカードがカッコよくて人気だったのですが、自分はそれをパックから引き当てたことがあって、その時は相当うれしかったのを覚えています。今考えるとかなり弱いカードなんですけどね(笑)。
――それから競技としてプレイをはじめたのにはどのようなきっかけがあったのでしょうか?
中学生くらいになると、MTGをやめてしまう友達も多かったのですが、自分はそれくらいから地元・新潟のカードショップに通うようになりました。そこでは隔週で大会が開催されていて、毎回50人くらいの参加者が集まっていたのですが、自分もそこで対戦するようになりました。
参加者のほとんどは自分より年上で、最初のうちは全く勝てなかったのですが、そうやってもまれていく中でMTGの競技としての面白さ、自由度の高さに気づかされたんです。それからは部活のような感じでMTGに取り組むようになって、放課後は毎日カードショップに通って仲間たちと練習をしていました。
――中学生のお小遣いでデッキをそろえるのは大変ではなかったですか?
大変でしたね(笑)。当時から4000円くらいするカードもありましたから。中学生の頃はそういうカードには手が出ないので、自分は安いカードでやりくりしていて、当時のデッキの総額はだいたい2000~3000円くらいでしたね。それでも、十分に戦えていたと思います。
そうやって学生時代にひもじい思いをしていた反動で、大人になってから高いカードを購入してしまう、というのはMTG界隈ではよくある現象でして。自分もつい先日かの有名な《ブラック・ロータス》を購入してしまいました。
――当時気に入っていたデッキを教えてください。
自分は当時からロック系のデッキが好きなのですが、中でも思い出深いのは《対立》を使ったデッキですね。《対立》を使って相手の動きを封じ込めながら戦う戦法が好きで、仲間から「対立のあんちゃん」と呼ばれていたこともありました。
――アマチュア時代の思い出深い試合を教えてください。
高校生くらいからは大規模な大会に挑戦するようになって、新潟の大会をはじめ、東京などにも遠征するようになりました。その中でも思い出深い試合は、受験を控えた高校3年生のころに出場した100人規模の大会の決勝戦です。自分はその試合を負けてしまって、大会を2位で終えました。
2位という結果は他のどの順位よりも悔しい結果ですし、自分はこの試合をプレイミスで負けたと思っています。これが通れば勝てる、というカードをプレイした時に、相手に2マナ残っていることをケアできていなくて、自分のカードを相手に阻まれてしまったんです。もう少しあのカードをプレイするターンを遅らせていれば確実に勝てた試合で、その悔しさからMTGにのめり込むようになりました。
――昔の試合内容を覚えていらっしゃるんですね。
仲間内での試合も含めて、負けた試合は全て覚えていますね。
――高橋選手はどのような経緯でプロになられたのでしょうか?
大学進学を機に上京したのですが、その頃から池袋のとあるカードショップに通うようになりました。当時は皆無名だったのですが、そこには後に日本のMTGシーンを引っ張っていく存在になるようなプレイヤーがたくさんいて、今でも親交のある仲間たちと出会うことになりました。
日々仲間たちと練習するうちに、「グランプリ」という千人規模の大会に出場しようということになりました。すると自分はその大会を初出場ながら10位という順位で終えることができて、プロツアーの参加権利を獲得できたんです。
まだ19歳でしたが、「グランプリ」で得たアマチュア賞金を使ってロサンゼルスの世界大会にも出場しました。そこには世界中から集まったMTGの強者たちがたくさんいて、言葉が通じなくてもゲームを通して熱量が伝わってきました。当時の自分にはそれがとても新鮮で、忘れられない体験になりました。
これがきっかけとなって、翌シーズンからはプロツアーの参加権利を獲得すべく、日本各地の地方予選に参加するようになりました。名古屋や大阪、ときには北海道まで行ったこともありました。そうやって仲間たちと旅をしながらMTGが上手くなっていく感覚がとても楽しくて、まさに青春の日々でしたね。
――それからすぐプロツアーでも結果が出せるようになったのでしょうか?
いや、それがそうでもなくて。地方予選を優勝できるようになるまでは順調だったのですが、20代の間はプロツアーでほとんど結果を出せませんでした。
大学を卒業したくらいのころ、MTGで知り合った友人のひとりが「晴れる屋」というオンラインショップを立ち上げ、自分は晴れる屋の創設メンバーとして携わらせてもらいながら、ひたすらプロツアーを回っていました。
しかしスタートダッシュが良かった分、当時の自分はプライドが高くて、自分の間違いを認めることができず、そのせいでなかなか上達できませんでした。また当時のMTGシーンはまだネットに上がっている情報が少なかったこともあり、自分ひとりで研究しなくてはなりませんでした。研究が遅れて用意したデッキが環境に合っていないと、その時点で勝てないので、当時はとても苦しかったです。
――どのようにしてスランプを脱したのでしょうか?
いくら頑張っても全然勝てないという思いから人生に焦りが生まれて、1年ほど競技シーンを離れた時期があったんです。その間は「晴れる屋」の業務に専念させてもらって、真面目に仕事をしていました。
しかし、一度競技シーンから離れると、やっぱり試合に出たい、という情熱が再燃したんです。仲間が活躍しているのを見ていると、自分もあそこに行きたい、と思わずにはいられないんですよね。また仕事を経験したことで精神的にも成長できて、徐々に周りのアドバイスを聞き入れられるようになりました。そうして再びプロツアーを回り始めると、以前より勝てるようになっていたんです。
30歳くらいになると、月に1度のペースで海外大会へ遠征するようになり、どの大会でも安定してTOP16やTOP8に入れるようになりました。すると、仕事をやめて競技に専念したいという思いが強くなり、それを機に「晴れる屋」を退職して専業プロになりました。
――ご家族に反対されたりしませんでしたか?
反対されましたね(笑)。それでも、自分のやりたいことをやる、と言って押し通しました。
――高橋選手にとって、MTGプロとはどのような生き方ですか?
MTGプロはいばらの道ですね。成功できるのはほんの一握りのプレイヤーだけですから。そんな過酷な環境の中でも情熱をかけ続けることができた人だけが、好きなことで人生を全うでき、本当の達成感を得ることができます。
「このために生きているんだ」っていう感覚を感じられる生き方ってあまり多くないと思うんですけど、自分にとってはそれが大会で優勝した時なんですよね。世界選手権を優勝したときも、長年の夢が達成されてとても大きな達成感を得られました。そのためだけにも、MTGプロを続ける価値があると思います。
――いまプロを目指している方に向けてアドバイスをお願いします。
プロは厳しいですし、なろうと思ってなれるものではないと思っています。それでもMTGに打ち込みたい場合は、青春の全てを懸けてください。本当にプロに向いている方なら、気づいた時にはプロになっていると思います。
たかはしゆうた 新潟県出身。カードゲームの元祖、Magic the Gathering(MTG)のプロプレイヤー。過去にカードショップで価格設定を担当し、2万種類を超える膨大なカード知識を持つ。現在はカードラッシュ所属プロ。 2021年世界選手権優勝。
◆高橋優太選手が書いた記事リスト
https://cardrush-media.com/mtg_player_yuutatakahashi/