今年4月、DetonatioN Gamingに竹内ジョンが新規加入しました。そこで、同じ格闘ゲーム部門の先輩である板橋ザンギエフと、DetonatioN Gaming(DNG)の運営会社Sun-Genceスタッフで、格ゲーマーの忍野ぺぺの2人が「竹内ジョン」を徹底解剖します。

星のカービィにはまった幼少期

忍野: いま何歳ですか?
竹内: いま23歳で、今年24歳になります。
忍野:物心ついて初めて触ったゲームは何ですか?
竹内: 最初は3、4歳くらいの頃に遊んだ「ポケットモンスター金」でした。兄弟と「今日は俺の番!」と、回しながら遊んでいました。
親からは「ゲームは1日1時間」と言われていてあまり遊べなかったのですが、「星のカービィ」シリーズが好きで、どハマリしてからポケモンと交互に遊んでいました。

忍野:厳しい家庭環境だったんだね。
板橋:カービィは何で好きだったの?
竹内:最初はキャラの可愛さとかですね。
板橋:世界観が柔らかいもんね。
竹内:入りやすいゲームでありながら奥深さと言うかやりこみ要素もあって、受け口が広
いゲームだと思います。
板橋:当時のファミコンはどんどん難しくなっていって……。というのも、ゲームの容量が少なかったから、その中でどうやってゲームを長く遊ばせるかっていう部分で難しくするしかなかった。だから理不尽な難易度のゲームが当たり前だった時代のとき、「簡単なゲームを満たさなきゃダメだ」と敷居をあえて下げたゲームがカービィだったと思う。それが広く普及したんだよね。

忍野:とにかく難しくしようって風潮がファミコンの時代にありましたもんね。そんな幼少期を過ごし、中学・高校もそんな感じで過ごしたのですか?
竹内:中学からゲームしたい欲求が強くなって、親が見ていない間にちょこっとゲームで遊んでいたのですが、途中でばれちゃって、家にゲーム片付け場所みたいのが作られちゃいました(笑)。それでも深夜、親が寝ている間にこっそりゲームをやっていました。

漫画を描いていた高校時代

対談する竹内ジョン選手(左)と板橋ザンギエフ選手

忍野:学校で部活には入っていたの?
竹内:元々小学校の頃サッカークラブに入っていて、その流れで中学もサッカー部に入りました。
忍野:それは高校でも続けてたの?
竹内:高校は漫画研究部に入っていました。
小学校の頃からゲームやサッカー以外にも絵を描くことが好きでした。昔からいろんな趣味や目指す夢が多かったんです。
幼稚園の頃は「かっこいいなぁ」という理由で大工さんが夢だったり、小学校では親からもらった天気の本を読んで気象予報士になりたいと思ったり、親父が元々将棋をやっていたんで、親と将棋をするのを楽しみながらプロ棋士を目指したりしていました。
東京・千駄ヶ谷の将棋会館で行われた対戦会に参加したらボコボコにされて、めちゃめちゃ悔しくて、大泣きしながら会場を出てったのを覚えています(笑)。
そのまま将棋からは離れて、それからも色々な趣味ができたんですけどイラストの趣味だけは今でも続いています。高校はデザイン系の学校で、漫研が賑わっていたのでちょっと漫画を描いてみようかなと思いました。

CPU相手に格ゲーの実力を上げる

竹内:(格ゲーを始めたのは)高校に入ったぐらいで、漫画を描きながら格ゲーに触れた感じですね。友達の家に集まってスマブラとかマリオカートとかやってたんですけど、友達が「格ゲーやろうぜ」なんて言いながら、ストリートファイターⅣ(ストⅣ)、スーパーストリートファイターIV(スパⅣ)とアケコンを一緒に持ってきました。
忍野: プロの中では(格ゲーに触れたのは)遅い方だよね。何で格ゲーは続けられたの?
板橋:将棋もボコられたんでしょ?(笑)
竹内:当時は友達との対戦ではなくてCPU戦をずっとやっていました。CPU戦で実力がついてきてから対戦もするようになりました。
調べ物をするのが好きだったので、ネットで「目押し」とか「キャンセル」とかいろんな用語を調べて、それを俺が友達に教えていました。
忍野: ジョン君が周りに知識を広めたんだ! じゃあ、家庭用ゲームから始まったんだね。
竹内:ゲーセンは、ある程度友達同士で競って戦えるようになったところで「ちょっと一
回ゲーセン行ってみない?」っていうのが始まりでしたね。
忍野:その時使ってたキャラは?
竹内: 多分最初はさくらとか、コンボがかっこいいキャラを使っていました。CPUにされてかっこよかったコンボをまねするようにしてたんですけど、ダッドリーでEXマシンガンで打ち上げてコンボするっていうのがかっこよくてダッドリーやっていました。

ジョンの意外な由来

DetonatioN Gaming 竹内ジョン選手

板橋:(最初の出会いとしては)俺が初めてジョンを見たのは「池袋GiGO」だった。ジョンが高校3年生くらいの時だったと思う。その頃から名前が「竹内ジョン」だったけど、この名前の由来は?
竹内:高校入った時にレクリエーションがありました。学校で、みんなでいろんなゲームをやって、一人ずつ前に立って自己紹介したとき、クラスの誰かが「竹内は犬っぽいからジョン」って。
板橋:じゃあ高校でジョンって呼ばれていたの?
竹内:高校3年間ずっと呼ばれていました(笑)。
忍野:そのときジョンって言われてどう思ったの?
竹内:「いや普通にジョンじゃないだろ」って(笑)。アーケードゲームは最初NoNameでプレイしていたんですけど、大会出る時にプレイヤーネームが必要となり、高校でつけられているジョンにしようと思って、名字をつけて竹内ジョンという名前にしたのが始まりですね 。
忍野:名前を決めた理由が大会だった、というのはみんなが通る道ですね。
板橋:ジョンって名前が犬から来ているって、俺らも全然知らなかったなぁ。

ゲーセンのプレイ代を苦労して捻出

忍野:ゲーセンでプレイするようになって、その時は誰と対戦していたの?
竹内:常連の人に挑んでいました。
板橋:GiGoだと、「勝てない奴には勝てない」みたいになるよね 。
忍野:GiGoは他のゲームでもトッププレイヤーが集まるゲーセンじゃないっすか 。
板橋:それは言い過ぎだけど(笑)。でも、そういう「池袋勢」みたいなコミュニティーや大会があったよね。
竹内: 駅西口に「ロサ会館」があり、俺はそっちが多かったですね。レベル帯で言うとまだ低めだったので、そこで鍛えてたまにGiGoにトライしに行ってボコされて、またロサ会館に帰っていました。レベル帯で分かれてやれる場所があったから続けられたっていう良い環境でした。
忍野:ずっと負け続ける環境だったらやっていなかったかもしれないね。アーケードってお金がかかるけど、アルバイトは何かしていたの?
竹内:高校がバイト禁止だったので、アルバイトはしていなかったですね。お小遣いからひねり出したりしていました。
格ゲーのコミュニティーの中にバイトしている友達が一人だけいて、ゲームが終わった後 にいつもどこかに飯食いに行きました。
大体常連のラーメン屋に行くんですけど 、金持ちが一人だけラーメンを買い、他はライスだけ買い、ラーメンのスープをおかずに米を食うって生活していました(笑)。
忍野:平成とは思えない! 昭和な一杯のかけそばじゃないけど(笑)。
それぐらいゲーセンにお金入れてたんだ。
板橋:それはおじさん達がすごい親近感を覚えるな。
忍野:そうだね、そういう時代もあったからね。
板橋:あったあった!
竹内:マジでひもじかったっす本当に……。

ストVとの出会い

笑顔を見せる竹内ジョン選手

忍野:その後大学に?
竹内:そうですね。
忍野:ストVが出て、最初アーケード版はなかったですよね。高校のとき、一緒に行っていた格ゲー友だちと家で練習していたんですか?
竹内:友達が就職してしまって遊べなくなってしまったので、自宅で一人でやっていました。アケコンは持っていなかったので、しょうがないなっていう気持ちでパッドを使っていました。
忍野:ストVは目押しとか難しいコンボの繋ぎとかはないからね。
板橋:パッドができた、ということもあるよね。その頃にはe-sports square(eスク)の対戦会があったから、ジョンも来てたもんね。
竹内:そうですね。
忍野:どこで今の若手たちと知り合ったの?
竹内:DMMカップが終わったぐらいですね。かつてDNGに所属していた立川、現チームメイトのナウマンがすごい活躍していて。
忍野:その時は全く知り合いじゃなかったの?
竹内:全然知らなかったです。eスクに行き始めてからいろんな人と知り合いました。
忍野:年齢も職業もバラバラで、みんなで集まって格ゲーして、その時どんな感じだったの?
竹内:最初はめちゃめちゃ緊張しましたね。でも大会の動画とか見てて、プロプレイヤーの名前はその時覚えてたんですけどその人たちが目の前にいて「本当にすげぇ」ってめちゃくちゃ嬉しかったです。

最初から「ラシード使い」だった理由

板橋:ストVが出てからずっとラシード使いだったわけだよね。
忍野: ラシードのどこが気に入ったの?
竹内:ダッドリーとかもそうなんですけど、メインキャラは絶対使いたくないっていうのがありました。人気なさそうだけど強いみたいなキャラを使うのが一番楽しいです。
板橋:(ラシードの)下馬評がすごい低かった。そういうキャラパワーとかを気にするというよりは、楽しさを見ていた、みたいなところあったんだね。
竹内:ラシードではないと、このゲームはできない、というぐらい、めちゃくちゃ楽しくプレイしていましたね。
板橋: その頃はラシードといえばこの人っていうプレイヤーがいなかったよね。
竹内:最初は自分で探り探り考えながらやっていて、「この技を使うんだろうな」「こう
使ったら強いんだろうな」など一人で楽しく開発していました。
忍野:「格ゲー力」がそういうところで身に付いたんだろうね。
板橋:そこが他の人と違った点なんじゃないかな。

ラシードを操る竹内ジョン選手

背水の陣で臨んだEVO Japan 2018

忍野:この5年間は激動だったと思うんですけど、海外行くときの旅費はどうしていたの?
竹内:クラウドファンディングを募り、旅費をそこから捻出していました。もっと海外の大会に出て、「強い人と戦いたい」「大会で勝ちたい」みたいな気持ちが出てきて、そこからプロゲーマーを目指すようになりました。
だけどEVOにも出場したんですけど結果を出せずに終わっちゃって。その後のEvo Japan 2018でコケたら辞めようと思っていました。
板橋:その時のEvo Japanはモチベ高かったんだ。
忍野:その気持ちがあってEVO Japanでいい成績が取れたんですか?
竹内:準優勝することができました。最初はかなり緊張していましたけど、勝ち進むにつれて「ここまで来られたからノルマはクリアした」という気持ちで気負いはなくなりました。
板橋:アイデアをちゃんと練って大会で実践するのってなかなか難しくて、そもそも大会は緊張感もあって、その中でちゃんと自分らしさを出してそのまま勝ちに結びつけたっていうのはすごい。

パッションで乗り切った海外大会

竹内:そのあとチームに所属させていただき、海外大会に1年目の時から出場していまし
た。
忍野:毎週海外に行くようなスケジュールの月もあったということだよね? 海外渡航とかの苦労は? 英語は?
竹内:全然出来ないです。
板橋:結構、肝が座っているよね。その状況ではやめておこう、となる人もいると思うんだよね。
忍野:全く英語が話せない中、どうやって相手に意思を伝えたの?
竹内:パッションで頑張っていました(笑)。ジェスチャーとか。

難しかった昨シーズン

拳を握って力を込める竹内ジョン選手

忍野:色々な経験を経て、我が軍(DetonatioN Gaming)に所属となりましたが、不安とかはありました?
竹内:去年、特に結果が振るわなかったので、今年新しくDNGに入らせてもらうに当たって、「結果を出すことが出来るのか?」って不安に思っていましたね。キャラ調整的には自信あったんですけど、それでもポロっと負けて何も出来ずに終わっちゃうこともあるだろうなって。
忍野:それは選手なら誰でもあるよね。
板橋:去年は海外大会もあまり行けなかったし、国内シーンとしても難しい年だった。去年、あまり大会に出ていないイメージあったな。
竹内:出場してもポロっと負けて終わっちゃったんで。「実力ないなぁ」って感じまし
た。そんな中で新しいチームに入るのはかなり不安だったのですけど、 「CAPCOM Pro Tour Online 2021 日本大会1」でいい滑り出しができたと思っています。
板橋:では最後に、ジョンさん今後の意気込みをバシっとお願いします!
竹内:今年は勝ちます!

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DetonatioN Gamingの運営会社である株式会社Sun-Genceは、今年秋に開催される「ストリートファイターリーグ: Pro-JP 2021」に板橋ザンギエフ、竹内ジョン選手らが参加することを発表しています。