総合プロデューサーって何をするの?

――「ぷよぷよ」シリーズ総合プロデューサーの仕事について教えてください。

現在、進行している主なタイトルは「ぷよぷよ!!クエスト」、「ぷよぷよ™テトリス®2」(ぷよテト2)、「ぷよぷよeスポーツ」の3つですが、「ぷよぷよ」という名がつくタイトル全般を統括しています。

ゲームの企画や開発、バージョンアップ対応はもちろん、プロモーションなどのマーケティング活動やeスポーツイベントなどにも関わっています。また、「ぷよぷよ」ライセンスについても最終的な判断を行う立場で、コラボ商品やグッズ開発の際には監修を行います。

「ぷよぷよテトリス2」

――どうして、ゲームの仕事を選んだのですか?

学生時代はゲームに関する学科ではなく、弁護士を目指して法律を学んでいました。でも、司法試験に失敗してしまい、就職活動を始めることになりました。

教員免許を持っていたので、教員になる可能性もあったのですが、モノを作る方が自分は楽しめるだろうな、と思っていました。プログラミングもできないし、絵もかけない。でもゲームが好きで、企画でモノを考えるのも楽しくて、セガへの入社を決めました。

実は、お世話になっていた弁護士の先生からも、「君は、弁護士を目指すより、モノをつくった方がいいよ」と言われていたくらいだったので、やはり適性はこっちだったんですよね。

現場の危機にヘルプとして入る

――入社後はどのような仕事をされていましたか?

セガに入社したのは2002年です。当時は開発会社が分かれており、ソニックチームという社名の会社で、開発企画を担当していました。

ソニックチームで最初に担当したのは「ジャイアントエッグ」というタマゴを転がすアクションゲームでした。その後は、「ソニック」の復刻タイトルをまとめた「ソニックメガコレクションプラス」「ソニックジェムズコレクション」を担当しました。新人の時から思ったことをバンバン言う性格で、比較的早いタイミングでディレクターを任せてもらえていたと思います。

当時の上司が「ディレクターなんだからやってよ」って、たくさん丸投げしてもらえたので自分も「僕、やります!」と応えました。若いうちから任せてもらえた範囲が多かったのは、有り難かったですね。

――その後にどんな経緯で「ぷよぷよ」プロデューサーになったのですか?

2006年に「ぷよぷよ」が15周年を迎えたとき(初期の「ぷよぷよ」はコンパイル社より発売)、私は他のタイトルの仕事をしていたのですが、「1カ月だけでも手伝ってほしい」と声がかかりました。そうしたら、スケジュールはとても厳しく、キーマンが抜けたこともあり現場はなかなか大変な、いわゆる「危機的状況」だったのです。

手伝っているうちに、ここは自分が頑張ってみようという気になって「『ぷよぷよ』のディレクターをやらせてほしい」と自ら手をあげました。セガは手をあげると、割と「やればいいじゃん」と任せてもらえる文化です。1カ月だけのつもりが、いつの間にかもう15年になります。

また、その時はディレクターと言っても、とりまとめの仕事が多く、実質プロデューサーの仕事をしていたので、翌年には正式にプロデューサーになりました。

ゲームで誰かの人生をポジティブにしたい

インタビューに応じる細山田水紀さん

――今までの仕事で、挑戦的だったものを教えてください。

最新作は常にチャレンジだと思っています。その中でも、過去で特に印象に残っているのは「ぷよぷよ!!クエスト」というスマホアプリを作りつつ、「ぷよぷよ!!クエスト アーケード」というフリー・トゥ・プレイができるアーケードゲームを作り、さらに「ぷよぷよテトリス」というコンシューマーゲームの制作も同時に進めていたときのことですね。

家庭用ゲームについては、「こうすればよい」というノウハウがあったのですが、スマホではまだなくて苦労しました。「基本プレー無料」もアーケードゲーム業界初のチャレンジ。「ぷよぷよテトリス」に至っては、「ぷよぷよ」と「テトリス」という全く違うゲームをくっつけるなんて、「そもそもできるのかな?」という感じでした。さらに、画面の見せ方も性能も違うハード4機種同時で開発を進めなくてはなりませんでした。

どれもこれもがすごい作業量で、すべて合計すると、関係者のべ200人くらいの規模でいろんなことが同時に動いて、本当に大変でした。さらに監修の仕事もあったので、今考えると心臓バクバクします。優秀なメンバーに頼らせてもらい、なんとか乗り切れました。

――ゲーム作りでは、どんな職種のメンバーと関わりますか?

大きなグループでは、デザイナー、企画、サウンド、プログラマーのチームに分かれます。そこから細分化して、たとえばデザイナーでは、キャラクターのイラストレーター、UI担当、エフェクトの制作担当もいます。

さらに3Dゲームなら、ステージやキャラクターのモデリング制作やモーションを作る人もいるので複雑です。他のゲームではムービーやアニメを作ることもあるので、構成を作る人や原画や動画などを担当するデザイナーも必要です。外部委託したり、アーティストを起用したりするゲームもありますね。

プログラマーは、ゲームを構築する人だけでなく、ネットワーク部分やUIを作る人もいます。企画も細かくはシナリオを考える人、ゲームのコアの部分を考える人など、それぞれの役割を持っています。

全体の人数は、時期やタイトルによって増えたり減ったりします。たとえば「ぷよテト2」では、国内は30人くらいですが、さらに海外にはプロデューサーやローカライズ担当がいました。「ぷよぷよ」シリーズとしては多めの人数ですね。「ぷよぷよeスポーツ」は10人くらいのチームで進めていました。

――困難な仕事を乗り切るモチベーションはどんなところにありますか?

お客様からお手紙をもらうことがあるのですが、中には、「『ぷよぷよ』をきっかけに友だちができた」「生きる希望を持てた」など、うれしくて涙が出るようなメッセージをくださる方も結構いらっしゃるんです。

ゲームを作ることで、誰かの人生にポジティブに関われることができるんだと思うと、私も「明日も頑張ろう」となれます。手紙は、みんなに自慢したいところではありますが、そっと大切にしまってありますよ。

時代の流れを読みながら、新しいものを作り続ける

「ぷよぷよeスポーツ」の対戦画面

――「ぷよぷよ」が長く愛され続けていると感じる理由を教えてください。

長く人気作品でいられるのは、何よりも「ぷよぷよ」のゲーム自体が面白い、ということが大前提にあると思います。システム的に爽快感があって、キャラクターがボイスでしゃべって、まんざいデモの掛け合いがあって、と型として完成しているんです。

それでも、コンパイル社時代もセガの時代も、新しいことを追ってきたタイトルです。スマホのパズルゲームを作ったり、フリー・トゥ・プレイのアーケードゲームを作ったり、eスポーツも展開したり。いろんなグッズも手がけてきました。

ハードや時代の流れに合わせて、どうやったら上手く面白いものを提供できるかを考え、新しいものを作り続けてきたことで、応援してくださるファンが増えて、また新しいものを作ることができる。そうやって良い形でうまくつなげてこられたのだと思います。

ただ、逆に言えば、「ぷよぷよ」に対して古い印象を持っている人もいます。そうした方々にどうアプローチしていくべきかは、プロデューサーとして考えていく必要があると考えています。

「ぷよぷよeスポーツ」Switch版のパッケージ

細山田水紀

ほそやまだ・みずき 2002年にセガ入社後、ソニックシリーズなどのアクションゲームのプランナーやディレクター、監修を経て、ぷよぷよシリーズのディレクターやプロデューサーを担当。現在は、「ぷよぷよ」全体をまとめながら、プロデュースや企画、監修も手がける。代表作は、「ぷよぷよeスポーツ」「ぷよぷよ!!クエスト」「ぷよぷよテトリス」シリーズなど。
ツイッター:@hosoyamada_mizu