ガス会社から世界最大級のデジタルコンテンツカンパニーへ 女性社長の歩んだ道

オリンピックなどの国際大会でスポーツ写真報道に定評のある「ゲッティイメージズ」(本社:米国)がeスポーツにも参入することになりました。ゲッティイメージズ ジャパン代表取締役の島本久美子さんは「物理的制約がないからこそ撮れるものを」と意気込んでいます。
オリンピックなどの国際大会でスポーツ写真報道に定評のある「ゲッティイメージズ」(本社:米国)がeスポーツにも参入することになりました。ゲッティイメージズ ジャパン代表取締役の島本久美子さんは「物理的制約がないからこそ撮れるものを」と意気込んでいます。
――島本さんがゲッティイメージズに入ったきっかけは?
ゲッティイメージズに入社してから先月でちょうど20年目に入ったところです。もともとロンドンで勤めていたベンチャー会社がゲッティイメージズに吸収されてから、そのまま残っています。20年前となるとデジタルで写真を配信するというより、まだポジフィルムを使っていました。ゲッティイメージズは当時は、報道ではなくて、広告などに使われるイメージ写真をメインにスタートした会社でした。
ゲッティイメージズが報道に入るきっかけは、実はスポーツなんです。スポーツ専門の報道写真を撮影するエージェンシーを吸収したことがきっかけです。そのエージェンシーがオリンピックとの関係があったため、いきなりオリンピックから入りました。中でもサッカーなどのヨーロッパ中心のスポーツから撮影を始めていきました。そういった意味ではスポーツに思いのある社員がいっぱいいるという感じです。
私が入った頃は、ヨーロッパはどちらかというとクリエイティブ写真の方が花形で、報道の方は単価が安いからみんなやりたがらないという感じがありました。私がイギリスで報道ビジネスのディレクターをさせていただいて、そこで全体の売上の43%まで報道を伸ばしました。それからヨーロッパの他の国を次々担当させていただくようになりました。
その後は、プライベートな理由で日本に帰ってくることになったので、辞めようと思っていたら「日本に帰るなら、日本とオーストラリアとアジアを見てくれないか」という話をいただきました。現在は日本に帰ってきてから11年半くらいになります。
――ところで、最初に就職されたのは大阪ガス。今の仕事とつながっているように見えないのですが。
最初は全くつながっていなかったのですが、途中からきれいにつながっていきました(笑)。
地域開発の仕事に携わりたかったので大阪ガスに入社しました。最初は営業所に行ったのですが、そのころ京都で昔のガス工場の跡地にビジネスパークを作るという計画がありまして、その社内応募を通ることができ、プロジェクトに携わることができました。
まだインターネットが商業利用されるようになって間もない時期で、「マルチメディア」という言葉がはやっていた頃ですね。京都リサーチパークというところなのですが、マルチメディアを中心としたビジネスパークにしていきたいというテーマでした。
当時の京都には、ゲーム会社や映画のスタジオもが多くありました。日本で初めてデジタル編集できる(例えば電線を消したりするっていうこと)大きなシリコングラフィックスの施設を映画会社に設けていただいたり、ゲーム会社に入っていただいたりしました。それがきっかけになってインターネットやデジタルなどに携わるようになったんです。
また文化財などのデジタルアーカイブを作るのを研究する会のようなものがあって、その頃写真のデジタル化にも興味があって触れることができました。1995年ごろなので結構早い段階ですね。
――その後、イギリスに渡られたのですね。
個人的なきっかけから大阪ガスを辞めてイギリスに行っていたら、京都リサーチパークで知り合いになったゲーム会社から、「任天堂さんのためにF1のゲームを作っているんだけど、F1の正式な権利がまだ取れていない。F1協会はロンドンにあるから手伝ってくれないか」という話が来ました。
それがすごく難しいことだと知らずに「やってみますよ」と。それがきっかけでスポーツライセンスをかなり勉強させてもらいました。
イギリスではイメージネットというベンチャーの会社で働いていました。映画会社から資金をもらって、映画会社のプレスリリースで配っていたポジフィルムなどをデジタル化してメディアにダウンロードさせるというプラットフォームを作りました。普通ならセレブの写真をインターネットに載せようと思ったらお金を払わなきゃいけないのに、逆にお金をもらうという、これはビジネスモデルとして面白いなと思いました。
その後、イメージネット全体のセールス責任者をやったのですが、そこでPRの仕組みとか、宣伝担当者がどう戦略的に配信しているかとか、かなり勉強になりました。特に映画会社はそういうことに関しては非常に巧みに工夫してこられている業種なので。
イメージネットはゲッティイメージズに吸収されました。報道のコンテンツとPRとは違いますが、メディアがどういうものを必要としているか、どういうものが響くのかというものがイメージネットの時代にだいぶ感覚を身につけさせてもらったので、ゲッティイメージズで報道をやったときに生きたと思うんですね。
――最後に唐突ですが、登山が趣味とうかがっています。なぜ登山なのですか?
登山だけじゃないんですけどね、趣味はいっぱいありますけど(笑)。登山はね、実は私もともとあまり好きではなくて。なぜかというと神戸で育ったので、みんな遠足で六甲山縦断を何回もさせられていて。
その経験から登山にはあまり興味を持たなかったんですけど、夫が(登山を)始めて、一緒に嫌々行っていました。途中で一回、火山を登ったら、火星にいるような、地球ではないみたいな景色に出会えて。足もとをあまり見なくても根っことかないので、意外と景色を見ながら登れるんですね。
そういった意味でも楽しかったというのがあって、それからはまったんです。ですから、どちらかというと登山というより火山にはまったという(笑)。一番はまったのは北海道の雌阿寒岳。簡単に登れる樽前山っていうのもきっかけですかね。火山ってそこまで大変じゃないんじゃないの、と思っちゃった。それが間違いで、途中から結構ハードなものがありました。
昔は「登山行くから携帯電話はつながらないから」って言えたんですけどね。今の時代はその言い訳がきかないんですよ。どこでもつながっちゃうようになってしまって(笑)。
しまもと・くみこ 大阪府出身。2歳から 13 歳までを米国で過ごす。1991年 神戸大学経済学部卒業後、大阪ガスに勤務。大阪ガスでは地域開発に取り組み、マルチメディアをテーマに京都リサーチパーク設立に関わる。
その後渡英し、ゲーム会社を経て2001 年、英国のパブリシティポータルサイト「イメージネット」に入社、グローバルセールスダイレクターに就任。2004年にイメージネットがゲッティイメージズに吸収されたのを機にゲッティイメージズ(イギリス)で、イメージネットと報道写真のセールス シニアディレクターとして、イギリス、ドイツ、スペ インの報道写真事業の拡大に貢献。2009年に帰国し、ゲッティイメージズのアジアヴ ァイスプレジデント兼ゲッティイメージズ ジャパン代表取締役に就任。現在に至る。
2018年に Diversity & Inclusion Global Advisory Committee の設立に貢献。最終学歴は2006 年 University of Manchester (UK), Media Studies 修士号。
(C)2020 ゲッティイメージズ