はじめまして。発達障害の当事者の希央(きお)(@FClaustra)と申します。ライターとしてePARAに関わりはじめ、現在はスタッフとしても団体の業務にあたっています。私は滋賀県在住で、広汎性発達障害と注意欠陥・多動性障害(ADHD)の特性があり、その影響で双極性障害などメンタル面の症状も抱えています。

ePARAの日々の運営やイベントを開くときは、障害のある人たちがゲームプレーヤーとしてのみならず、公式サイトの記事作成など、さまざまな面で関わっています。そして、そうしたePARAに関わっていただいている多くの人たちと同様に、私もePARAの活動には自宅からビデオ会議ツールやチャットツールを用いて、リモート体制で参加しています。

今回は、私とゲームとの関わりについてだけでなく、私の特性にフルリモートワークの環境がどう影響しているかも書いていきたいと思います。

ePARAがきっかけになって触れた、シューティングゲームの世界

ゲームに初めて触れたのは小学校低学年の頃でした。ポケットモンスターの初代である「緑」、その後はポケモンの「金・銀」をやりました。「ゲームボーイカラー」の時代です。うちには親の方針で据え置きゲーム機が一切なかったので、大乱闘スマッシュブラザーズ(スマブラ)は友人の家でやっていました。

当時、スマブラに関しては正直ダメダメで、友達と集まってゲームをしていても、すぐに負けて見学に回されるような子どもでした。なので、あまりゲームが得意という認識はなかったです。発達障害の影響だったことは後からわかったことですが、指先がとても不器用なので、そこもネックに感じて、だんだんゲームはやらなくなりました。

その後も、「プリンセスコネクト!Re:Dive」などスマートフォン向けRPGを触る程度で、リアルタイムバトル型のゲームはほとんどプレーしていませんでした。1ラウンドに30分と、プレーに時間がかかることに抵抗がありました。

また、スマホのリズムゲームにもいくつか挑戦していましたが、指先の反応が悪い発達特性のため、長続きしませんでした。車が好きなので、グランツーリスモ6などは少しだけ触ったことがあります。が、こちらも苦戦し、続けることはできませんでした。

そんな自分がePARAに関わるようになったのは、障害者クラウドソーシングサービス「サニーバンク」がきっかけです。私はサニーバンクに登録していますが、今年2月下旬ごろにePARAに開いたPUBG Mobileについての記事を書く仕事の紹介を受けました。当時はニュースサイトとしての「ePARA」が始動直後で、先陣を切って担当させていただくことに緊張感もありました。

記事を2本書くにあたり、実際にPUBG Mobileのプレーをしてみました。パンツ一丁で輸送機から飛び降りていき、装備を集めながら戦うということには最初は信じられませんでしたが、今まで苦手意識があってFPSやTPSを触ってこなかったので、すごく新鮮でした。

諦めたくないからこその「SOS」に応えてくれた 周囲の温かさが嬉しかった

希央さんの作業の様子

5月31日のePARA2020にはスタッフとして参加しました。その話が来た時は、もちろんゲームイベントの運営なんてやったことはなかったんですが、おもしろそうだなと思ったのと、過去に就いていた仕事でイベント運営の経験もあったので、「是非」とお願いしました。これが自分がもう一度ゲームに触れる契機ともなりました。

最初は、いちスタッフとして資料の準備や当日のブロスタ大会のランキング業務を担当していたのですが、だんだん業務が多岐にわたりはじめ、最終的にはディレクター的立ち位置として当日を迎えました。

イベント当日のことは、ePARAのサイト内の感想記事にも書いているのですが、トラブルも発生する中、必死に運営しました。イベントにトラブルはつきものですが、字幕表示関係の大きなトラブルが発生し、かなり大変でした。

途中で体調が悪くなり、リタイアも考えるくらいの状態になったのですが、周囲に体調のことを伝えると休憩の配慮をしていただけました。勇気を出してSOSサインを出したら皆さんが応えてくださって、感動しました。結果、最後までやりきることができ、すごく嬉しかったですし、自信にもなりました。

ePARAに関わって以降は、「ブロスタ」はよくプレーしていますし、「Call of Duty Mobile」などもたまにやっています。ただ、3DのFPSやTPSは長時間やると画面酔いするので、ほどほどにしています。「ブロスタ」は2Dなので、比較的楽にプレーできるうえ、1ラウンドが短いので、楽しくやれています。

自分自身のバリアを壊して、さまざまな可能性を切り拓くということ

ePARAに関わるまでは、「eスポーツは、自分には縁遠いもの」だと考えていました。ゲームに興味がないわけではないけれど、強くないし、関わることはないだろうと思っていました。

でも、ePARAに関わったことで、eスポーツがプレーヤーや実況者など表に出る人だけの世界ではないことに気づかされました。実は、大会などの運営には予想以上の人数と労力がかかっていて、それがあって初めて「eスポーツ」として成立します。ePARAに関わったことでそのことを理解でき、いま実際に裏方の立場で関わることができているのは、私にとって大きな財産です。

さらに、ePARAでの仕事や活動を通して、発達障害だけでなく、視覚や聴覚などいろいろな障害を持つ方と関わることが増えました。

これまでは自分の発達障害含め、「障害」に対して距離やバリアというか、一歩引いたところで見ていたのですが、それを根底から見直す、いいきっかけになっています。いままで当事者会などには何度か参加していましたが、悩みを話し聞き合ううちに心がどんどん重くなって。だんだん関わりがなくなっていました。

でも、ePARAでは今まで自分が見てきた「障害者のイメージ」と違う面を、関わるみなさんから感じました。当事者会を否定する意図はまったくないんですが、「悩みを話すだけの繋がり」からはなかなか見えてこない多様性がePARAの活動では見えると感じています。

自分の殻を破り、多様性の世界に飛び込む

ePARAで関わる方の中には、目が見えなくても、聴覚の鋭敏さを生かしたさまざまな仕事をされている方がいらっしゃいます。しかも、ブラインドゲームといって、見えなくてもゲームをプレーする方もいらっしゃって。すごい方々だなと思います。

先天性の聴覚障害のライター「くらげ」さんとの繋がりもできました。くらげさんは、「人工内耳をつけるまで音声としての日本語は外国語だった」なんておっしゃるんです。話すことを覚えたのはここ数年というお話で、非常に驚きました。

自分に近い発達障害や精神障害の方とも、ゲームを介してコミュニケーションを取ることで、「ああ、こんなふうに工夫して、日々踏ん張ってやっているんだな」と、新たな一面を知ることができます。

そんな関わりの中にいると「自分って諦めてばっかりだったんだな」「まだまだやれるんじゃないかな」と思い始めました。今は自分の殻を破って、多様性の世界に飛び込んでいく過程にいると思っています。

ゲームに関する仕事、障害があってもできる

私は、この10年いろいろと回り道してきましたが、今ではそれはムダじゃなかったなと思えるようになってきていて、それが自信にもつながっています。「どんな仕事にもほかに活かせる部分はある」と、最近は毎日のように気付かされています。

ゲームにまつわる仕事も、個々の特性やそれぞれが経験してきたことと組み合わせれば、「障害があってもできること」、「障害があるからできること」というのがいっぱいあると思います。そして、そういった視点を活かせる仕事はゲーム分野以外にも多くあるんじゃないかとも思っています。

私は障害者のみならず、全ての人が「ゲームをきっかけに様々な分野へ歩んでいける可能性」を日々の活動の中で感じています。そこをePARAのみなさんと一緒にどんどん切り拓いていきたい、というのがこれからの私の目標です。

5月31日に開かれたブロスタ大会(ePARAのYouTube配信より)

発達障害と診断されて7年 不安と闘いながら過ごした日々

最後に、私自身のことを説明しておきたいと思います。発達障害の診断を受けたのは2013年の12月。うつ病による体調不良で大学を中退しているのですが、その後も症状を繰り返すので、おかしいなと思って病院を変えたら診断されました。

心当たりもあってある程度覚悟はしていたので、納得がいったという方が正しいかもしれません。診断名だけが先行している状態で、「この先どうなるのかな」という不安はありました。

大学を中退してからは、観光地のスタッフとしてアルバイトで働きました。観光案内や物産販売の仕事です。企画やイベント、ご当地キャラの誘導など、その内容はさまざまでした。近しい人以外には特に病状のことは明かさずに仕事をして、それなりにうまくはできていました。最終的にはフルタイムの契約職員になったのですが、一人で任される分野が多くなって、不安ばかりが募る日々になり。結局、体調を崩して退職しました。

障害者雇用で感じた「リモートワークの必要性」

観光地の仕事を退職後、「クローズ」(障害を打ち明けない仕事のやり方)で苦しんだことを踏まえ、次は「障害のことをオープンにして就労しよう」ということで、2018年夏から障害者雇用の仕事を探しました。障害者手帳自体は2015年に取得していたので、割り切って探しました。転職は比較的スムーズに終えました。採用されたのは大手系列の運輸関係の会社。人事事務の仕事でした。週5日、1日6時間の契約社員で、最低賃金プラスα程度の待遇でした。

ところが、通勤に片道1時間半もかかり、拘束時間が長くなってどんどん疲弊してしまいました。職場環境や人間関係は良好で仕事内容は合っていましたが、半年ちょっとでやめることになってしまい非常に悔しい思いをしました。

当時は「リモートワークって何?」という時期で、通勤が当たり前でした。東京や大阪などの都会ほど通勤電車が混んでいるわけではないですが、今思い返すと通勤が与える精神的負荷は大きかったです。

そこで、体力を削る通勤をしなくていいということで、今のサニーバンクでリモートワークの働き方を選びました。まさか、時を同じくして新型コロナウイルスでリモートワークやテレワークが推奨されるようになるとは思いもしませんでした。現在も、滋賀の自宅からすべての業務を行っています。リモートワークで都会と地方の境界線がなくなったように感じていて、全国各地に仲間もできました。働きづらさを抱えている人のためにも、リモートワークがもっと普及してほしいと考えています。