「無我夢中で練習をやり続けた」プロ格闘ゲーマー・マゴ選手のルーツはゲーセンにあった

eスポーツという言葉が世間に広まる前から、格闘ゲームプレーヤーとして最前線で戦ってきたマゴ選手。3月に発足したeスポーツチーム「魚群」のリーダーとして、配信やイベントなどを通じて格ゲーコミュニティーの盛り上げに力を入れています。25日から始まる「ストリートファイターリーグ: Pro-JP 2020」にも参戦。そのマゴ選手は、どのようにゲームと出会い、格ゲーにのめり込んだのでしょうか。そのルーツを聞きました。
eスポーツという言葉が世間に広まる前から、格闘ゲームプレーヤーとして最前線で戦ってきたマゴ選手。3月に発足したeスポーツチーム「魚群」のリーダーとして、配信やイベントなどを通じて格ゲーコミュニティーの盛り上げに力を入れています。25日から始まる「ストリートファイターリーグ: Pro-JP 2020」にも参戦。そのマゴ選手は、どのようにゲームと出会い、格ゲーにのめり込んだのでしょうか。そのルーツを聞きました。
ーーゲームとの出会いはいつでしたか?
小学1年生くらいのころ、兄とおもちゃ屋にスーパーファミコンを買いに行ったのを覚えています。
兄は2つ上でとてもゲームが好きでした。自分がゲームをやるようになったのは、兄の影響が大きいですね。家で兄がゲームをしているのを後ろから見ていて、「トルネコの大冒険」シリーズをはじめ、自分も色んなタイトルをプレーしたいなと思っていました。
ーー格闘ゲームを始めたのもお兄さんの影響ですか?
そうですね。ある日、兄がスーパーファミコン版の「ストリートファイターII」を買ってきたんです。それまで兄がやっていたのは一人用のゲームが多かったのですが、格闘ゲームには対戦モードがあります。そこで初めて、兄と一緒にゲームをすることになったんです。
初めて格闘ゲームをやってみて「自分の技術が強さにつながる」部分に強く惹かれました。RPGではレベルアップが強さになりますが、格闘ゲームでは自分の練習が強さになるんです。
それからは、必殺技を出せるように夜中に隠れて練習したりしていました。当時の自分は、運動や勉強に自信が持てない子でした。そんな自分に「やればできる」という感覚を与えてくれたのが格闘ゲームなんです。
しばらくは兄と対戦するのが主でしたが、当時はおもちゃ屋やスーパーにゲーム筐体が置いてあって、徐々にそこでプレーすることも増えました。
初めてゲームセンターに行ったのは小学校4年生くらいのころ。地元の工業地帯にある小さいゲーセンで、兄と一緒でした。そのゲーセンは元々は喫茶店で、不良風の学生が多かったような印象です。「怖いところだな」と思いつつ、魅力的に感じていたのを覚えています。
ーー当時好きだった格闘ゲームは何ですか?
やっぱり「THE KING OF FIGHTERS」シリーズですかね。キャラクターが個性的だったし、1プレーで3キャラクター使える点もお得に感じていました。
ーー対戦にのめり込むようになったのはいつ頃でしたか?
中学に入ってからですね。学校の最寄り駅の近くに大きなゲーセンが2つあったんです。学校からは行ってはいけないと言われていましたが、入学初日から行きました(笑)。
それから毎日のように学校帰りに同級生たちとそのゲーセンに通うようになりました。自分は同級生の中では一番強くて、それまで特技と思えるものがなかった自分ですが、「俺って格闘ゲーム上手いんだな」と思えるようになりました。
格闘ゲームに自信が持てるようになると、今度は大会に出たいと思うようになりました。初めて出場したのが「燃えろ!ジャスティス学園」の大会で、とあるゲーセンの店舗大会でした。30人ほどの小さな大会でしたが、当時同級生たちとしか対戦していなかった自分がいきなり準優勝することができたんです。
それも自信になって、遠征にも行くようになりました。すると遠征先で仲間ができたりして、どんどん格闘ゲームにハマっていきました。
そして高校生ぐらいのころでしょうか、格闘ゲームにのめり込む最大のキッカケとなったのが「CAPCOM VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001」(以下、CVS2)との出会いです。ゲーム自体もめちゃめちゃ面白かったし、キャラクターも沢山いて、とても惹かれました。
ーーマゴ選手がプレーヤーとして有名になったのはいつ頃でしたか?
「CVS2」をやるようになってから、さらにゲーム仲間が増えました。そこで知り合った強い人たちは皆「新宿にヤバいゲーセンがある、やる気があるなら行ってみるといい」と言うんです。
そのゲーセンは「新宿モア」という今はないゲーセンなのですが、初めて行ったときは驚きました。当時は格闘ゲームプレーヤーたちのメッカとして有名だった場所なのですが、そこで対戦レベルは他とは比べ物にならないくらい高いんです。
当時はお金もなかったので、150円ほどのコインを握りしめ、ハイレベルな対戦をひたすら見ていました。相手の癖を観察して「よし、勝てる!」と思って乱入するんですが、それでも即負けてしまっていました(笑)。
それから「モアで勝てるようになりたい!」と無我夢中で、新宿に近い友達の家に居候したりしながら、週4~5でモアに通うようになりました。
ーーとにかく「勝ちたい」と?
そうですね、明確に目指しているものとかはなく、ただただ「CVS2」が楽しかったんです。当時は寝てる時間以外は全てゲームのことを考えていましたね。
最初は「システム頼り」と言われて周りから認められなかったりもしましたが、それでもがむしゃらに練習しつづけて。気づいたらモアでも勝てるようになっていましたね。
当時の自分を象徴するようなエピソードが一つあります。当時「闘劇」という格闘ゲームの全国大会があったのですが、「闘劇」前になると、地方の猛者たちが皆モアにやってきて大会前の最終調整をするんです。
その当時自分は深夜バイトをしていたのですが、「闘劇」前のモアが賑わう時期はどうしてもゲーセンに行きたくて、ある日バイト明けに昼からモアへ行ったんです。
夕方になるとモアは遠征勢で溢れかえって、なかなか対戦できない状態です。順番を待っている間どうしても眠くなって、壁沿いに体育座りで寝てしまいました。
しばらくして、殺気を感じて目が覚めました。すると、横に灰皿のタワーを持った店員さんが、自分を見下すように立っていたんです。「ここは寝るところじゃないんで、出て行ってください」と言われ、追い出されてしまいました。
でも当時の自分としては、本当に格闘ゲームが人生の全てで、睡眠なんかよりもよっぽど重要なものだったんですよ。ただただ格闘ゲームだけがしたい、そんな少年でした。
「ストリートファイター」シリーズは、1987年に業務用ゲーム機として第1作目を発売後、1991年発売の『ストリートファイターII』において大ヒットを記録しました。革新的な対戦システムが話題を呼び、家庭用ゲームソフトでは全世界でシリーズ累計4,500万本(2020年6月末時点)の出荷を誇るなど、対戦格闘ゲームというジャンルを確立。。登場から 30年経た今なお世界中で人気を博しており、eSportsにおける格闘ゲーム分野を牽引するタイトルとなっています。「ストリートファイター」シリーズ史上初の「PlayStation®4」ユーザーと PC ユーザーが対戦できる「クロスプラットフォーム」プレイの導入を実現しております。
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インタビューに答えるマゴ選手(撮影・志田彩香)
インタビューに応じるマゴ選手(撮影・志田彩香)
インタビューに応じるマゴ選手(撮影・志田彩香)
プロゲーマーのマゴ選手(撮影・志田彩香)
インタビューに応じるマゴ選手(撮影・志田彩香)
プロゲーマーのマゴ選手(撮影・志田彩香)
インタビューに応じるマゴ選手
インタビューに答えるマゴ選手
取材に答えるマゴ選手